大判例

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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)4733号 判決

原告

国土計画株式会社

代理人

丸山一夫

ほか四名

被告

右代表者

法務大臣

赤間文三

右指定代理人

野崎悦宏

ほか一名

主文

被告は原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対し昭和二七年五月三〇日から昭和四二年二月一日に至るまでは年二分四厘の、同年二月二日から支払済に至るまでは年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一、まず被告の本案前の申立てについて判断する。

被告は、供託金の取戻請求は、供託法所定の手続によつてのみなさるべきものであり、供託官は、右手続による取戻請求に対し、認可又は却下の行政処分をなすものであつて、これに対する不服申立ては、供託法並びに行政事件訴訟法に従い、審査請求乃一抗告訴訟の手続によつてなされるべきであるから、この手続によらず民事訴訟法に従い、いわゆる通常の訴訟手続によつて、直接、国に対して供託金の取戻しを求めることは許されないと主張する。思うに、供託によつて供託当事者(供託者及び被供託者)と供託所との間に成立する法律関係を公法関係又は私法関係のいずれと解すべきかは、あらゆる供託に共通する供託の本質をどのように把握することによつて結論を異にするけれども、供託関係の内容を具体的にどのように定めるべきかは、たとえば私法関係のある事項について公法的規整を加えるとか、公法関係のある事項について私法法規を適用するとかのことがらを含めて、立法政策の問題でもあるのであつて、供託に関する法律関係がどのようなものであるかは、問題となつている事項について実定法が具体的にどのような規定の仕方をしているかを見きわめたうえで、決定しなければならない。

一般に供託は、いろいろの角度から多くの種類に分類できるけれども、すべての種類の供託に通有することは、供託者の申請によつて供託所が供託物を受入れ管理し、供託者又は被供託者にこれを交付することであるということができる。その意味において、この関係は、通常の寄託とその性質を同じくするものということができるのであつて、ただ、後にも述べるように、供託機関が法務局等の国家機関である場合に、ある事項に関して公法的な取扱いがなされることがあるけれども、そのほかは、供託機関が国家機関である場合でも、供託関係そのものは、権力的要素を含まないのを本質とするものと解するのが相当であつて、供託が法律秩序の維持、安定を期するという公益目的のために国家の営む制度であることから、供託関係が、すべて当然に公法関係であるとか、権力関係であると解さねばならぬ理由はない。

ところで、金銭又は有価証券を目的とする弁済供託(従つて供託関係は法務局等の国家機関である。)において実定法の定めるところをみると、少くとも、次の諸点が明らかである。即ち、

(一)  まず、供託所に供託しようとする者は、法務大臣の定めた書式によつて申請しなければならず、供託官は、供託書や添付書類について、申請が適法かどうかを審査し、適法であれば(即ち、供託を受理すべきものと認めるときは)、これを受理しなければならない(供託法第二条参照)。しかし客観的に申請が適法であつて受理義務であるとしても、供託官の受理行為がないかぎり、供託は絶対に成立しないのであつて、この点において、供託の申請が適法か否かは供託者の判断よりも供託官の判断が優越する関係にあるものと解せざるをえないから、その意味では供託受理行為、申請の拒否行為はそれぞれ一個の行政処分と解することができる。もつとも供託官の供託受理の決定(供託規則第一八条参照)は、供託申請を有効なものとして受領する行為であつて、供託原因の存在を公の権威をもつて確認するようなものではないのであるから、供託の受理そのものが取消訴訟の対象となることは通常考えられない。これに反して、供託申請の拒否行為は、供託申請を受理しない旨の意意表示であつて、供託制度を利用しうるという申請者の法的地位を侵害するものであるから、取消訴訟の対象となるべき性質のものである。従つて供託の申請者は、供託官の申請却下処分に対して審査請求をなしうるのであり(供託法第一条の三ないし七参照)、また、直接、裁判所に対して取消訴訟を提起することもできると解すべきである。

(二)  次に、供託物の還付を請求する者は、法務大臣の定めるところによつて、供託所に対し、その権利を証明しなければならず、また供託物の取戻を請求するには、民法第四九六条の規定による場合を除いて、錯誤その他の事由によつて供託が無効であること、または供託原因が消滅したことなどを証明しなければならない(供託法第八条参照)。従つて、法務大臣の定めるところによつて、供託法所定の法律関係や法律事実が証明されると、払渡請求に応ずべきは当然であるが、供託規則によると、払渡請求があるときは、目的物の交付にさきだつて供託官に請求の適否を審査させることとし、供託官は、払渡請求に必要な書類について、形式面および実質面にわたつて審査のうえ、請求を理由があると認めるときは払渡を許可する旨を(規則第二八条第一項、第二九条参照)、請求の理由がないと認めるときは請求を却下する旨を(規則第三八条参照)、それぞれ供託物払渡請求に記載して記名押印し、これを請求者に交付しなければならないものとされている。また供託官の処分を不当とする者は、監督法務局又は地方法務局の長に対して、審査請求をすることができるもの(同法第一条の三乃至第一条の七)と定められているので、これらの規定からすれば、供託官の行なう重要な行為の一つである払渡の認可又は却下も、供託申請の拒否と同様行政処分であるかのような観を呈している。

そこで、払渡請求書に記載される供託者の払渡認可、請求却下等の意思表示ないし決定の法的性格をどのように解すべきかが問題である。この点について、右の諸規定を根拠として、客観的に供託法所定の法律事実等が証明され申請が違法であつても、供託官の払渡認可決定によらないで、供託物を払渡すことは絶対にできないとする見解も成り立ちうるが、この見解によるときは払渡請求の却下は、供託申請の拒否処分と同様、行政処分として審査請求または取消訴訟によつて争うべきこととなる。

しかし、供託関係が寄託とその性質を同じくし、権力的要素を含まないのを本質とするという前記の基本的見解に立つ場合には、供託法、供託規則等の規定が供託関係の性質と関連してどのような意味において請求の却下を規定しているかを更に検討したうえ、法や規則がこれらの行為に行政処分としての性格を与えたかどうかを決しなければならない。

(1)  前記のとおり、供託所が供託物の払渡請求を受けた場合には、供託官は払渡の請求が理由があるかどうかを審査し、請求を理由ありと認めるときは払渡を認可し、理由がないと認めるときは請求を却下しなければならない(法第八、一〇条、規則第二八、二九、三八条等参照)。この場合における供託官の審査範囲は、法律上規定されていないので、払渡請求書および添付書類等の適式性、有効性などの形式面だけでなく、還付請求の場合には当該請求者が実体上供託物の還付を受ける権利を有するが、権利の行使の要件をみたしているか、反対給付の履行があつたかなどの実質面に、また取戻請求の場合には実体上供託が無効であるか、供託原因が消滅したかなどの実質面に、それぞれ及んでいるのであるが、その証明の方法、従つて審査の方法は、払渡請求書および添付書類など書面の記載によつてのみ行なわれるものであり、供託官は、実体上の権利の存在ならびに帰属につき書面以外の証明手段によつて規定する権限を与えられていないのであつて、その意味で供託官は形式的な審査権限を有するにとどまるということができる。

他方において、還付請求権や取戻請求権そのものは供託によつて法律上当然に生ずるものであつて、一般私債権と同様、譲渡、質権設定、仮差押等の目的とされるものであり、供託官の認可がなければ権利の内容が具体化されないものと考えなければならない理由はなく、また前記のごとく審査権限を制限されている供託官の審査によつてはじめて払渡請求権の存否ないし帰属自体が確定されるものと解することもできない。その意味において、払渡請求に対する供託官の認可又は却下が、払渡請求権の存否又は帰属を確定するため国家機関が供託当事者に優越する地位において関与する行政処分であると解することはできない。

(2)  しかし、供託物の還付を受け又はその取戻をしようとする者は、所定の書式をそなえた請求書と添付書類とを供託所に提出し、供託官の審査を受け、請求書に払渡を認可する旨の記載を得て払渡を取けることになるのであるが(規則第二八、二九条参照)、いかに客観的に払渡請求権を有することが明らかであつても、これらの手続を経なければ供託物の交付を受けることができないという意味においては、供託官の認可または却下は、払渡手続という権利の行使面に国家機関が関与する行為であると解することができる。この場合においても、問題となるのは、払渡請求書に記載される認可は行政処分であるかどうか、払渡請求権者は認可という供託官の行為がないかぎり、裁判上も請求権の行使ができないかどうか、換言すれば供託物の払渡請求の却下の当否は行政訴訟によつてのみ争うべきかどうかということである。供託が本来権力的要素を含まないものであることは前述のとおりであるが、それにもかかわらず、それが公益を目的とする国家の制度であり、かつ国家機関たる供託官によつて供託手続が主宰されることから、供託手続における国家機関の主導性を確立する要請をみたすため、請求者の権利行使の要件に関与する行為として、供託官に払渡請求権の存否を判断させ、その判断について優越的な地位を与えることによつて、払渡の認可に行政処分としての性格を付与することは立法技術上考えうることであり、またそれ相当の手当を施するならば十分成り立ちうる制度であるといえるであろう。

ところで、現行法の定める供託手続において供託官の主導性を確立するため払渡請求に対する認可ないし却下を行政処分として取扱うことは、それが払渡請求権の行使要件に関与する行為であるとしても、前記のごとく制限された審査権限しか与えられていない供託官の、払渡請求権の存否又は帰属に関する判断に、供託当事者が拘束され、かつ、権限ある機関による取消があるまで何人もその拘束力の尊重を強要されるということを意味するものにほかならない。そして、もし、払渡の認可又は却下が、払渡手続という権利行使面において国家機関が関与する行政処分であると解されるとしても、払渡却下決定の取消訴訟における司法審査の対象は、前記のいわゆる形式的審査権限の範囲内において供託官がとつた権限行使の適否である(従つて供託官の面前に提出されなかつた書面や証人尋問などによつて処分の適否を判断しえない。)と解するのでなければ、供託官の主導権確立の要請に完全にそうことはできないとも考えられる。しかし、このような解釈をとると、払渡手続において実質関係を書面によつて証明できないかぎり、認可を得られないから、甚だしい場合には、実体的権利関係の証明のため、供託当事者間において別途訴訟を提起し、判決書を供託所に提出することによつて認可を得なければならないことも予想されるわけである。更に、もし供託官の主導性確立の要請がそれほど徹底的なものではなく、従つて取消訴訟における司法審査を右のように制限する必要がないとの見解をとるのであれば、払渡請求却下決定においては、調査権限について特段の制限がない他の一般行政処分と同様、あらゆる証拠方法をもつて供託官の判断の適否を審査すべきことになる。このように解した場合には、供託官の本来の審査権限の行使または不行使について誤りがあつたためその処分が違法として取消されるというだけにとどまらず、処分時に供託官の面前に提出されなかつた書面を顧慮しなかつたために処分が違法になるとか、あるいは本来供託官の権限に属しない調査方法によつて調査しなかつたためにその処分が違法であるとして、処分が取消される場合を生ずるものである。即ち供託官は自己の権限の及ばないところに存在する事実によつて自己の判断の適否を決せられることとなり、そのかぎりでは、供託官は判断を払渡請求者の判断より優位に置くことの実質的意義が欠けることになるのであつて、そのことが供託手続における供託官の主導性を確立するに役立つかどうか疑わしいものといわざるをえない。もつとも、払渡請求者から提出された書面を審査することによつてなされた供託官の請求却下の判断が適法とされる場合もあるのであるから、そのかぎりでは、取消訴訟によつて取消されるまで供託官の請求却下の判断に優越性を与えることによつて供託手続における供託官の主導性を確立する意義を全く否定することはできないといえよう。しかし、この場合におても、取消訴訟の審理に解しては、原告たる払渡請求者と被告たる供託官は、互いに、供託官に提出されなかつた書面を書証として提出し、その他供託手続においては認められなかつた証明方法を提出することによつて、供託官のなした請求却下処分の適否を争うことになるのであつて、供託官の請求却下の判断は、このような意味内容をもつた争訟手続によつて取消されるまで、払渡請求者に対する優越的な地位を与えられているということになる。

そこで問題は、右のいずれの場合にせよ、法ないし規則が、限られた審査権限しか有しない供託官の判断(認可)に、それほどまでの価値を与え、その反面、権利者に対して認可処分があるまで、裁判上の権利の行使を差し控えているものと解すべきかどうか、換言すれば、そのように解すべきことの合理的根拠の有無である。払渡手続において供託官の審査の対象となつている事項は、形式面はさておき、実質面としては、払渡請求権の発生原因や帰属又は権利行使の要件等の法律関係であつて、これらの事項は、本来対等当事者間における法的紛争として客観的に確定しうる性質を有しているのであつて、必ずしも供託官の優越的な地位において、その存否を第一次的に判断させ、その判断に供託当事者を拘束し、かつ、権限ある機関によつて取消されるまでは、その判断を尊重するという仕組をとるのでなければ供託制度の運用の円滑を期しがたいというような性質のものではないと考える。もちろん供託手続は供託官によつて主宰されるのであるから、大量的な業務を能率的かつ画一的に処理するためには、少くとも、供託官の何らかの審査(却下でもよい)を経させることは必要なことがあり、又実体上払渡請求権を有する者も、国家制度を利用する以上、権利行使のためには、適法な申請をなし、かつ、右のような審査手続を履践することが必要であるということができるが、更に進んで認可に行政処分としての性格を与えこれを経るのでなければ、裁判上権利の行使ができないとか、供託手続ににおける国家機関の主導性が確立されないとか、いわなければならない合理的な理由を見いだしがたい。右のように、払渡請求に対する供託官の認可又は却下は、払渡手続という権利行使面において国家機関が関与する行政処分であると解することもできない。

このように解すると、供託官の行なう認可は、その実質において供託所が自己に対する供託当事者の払渡請求権の行使に対し、債務者としてこれを是認する旨の意思表示以上の意味を有しないものと解するのが相当であり、請求却下の決定(規則第三八条参照)も、結局、払渡請求に応じない旨を宣言する行為、即ち支払拒否であると解せざるをえない。従つて請求却下の決定がなされても、それは請求者の還付請求権や取戻請求権の存否または帰属等に何ら法的影響を及ぼすものではなく、審査請求や取消訴訟によつて確定を遮断しなければ請求者の権利ないし法的地位に影響を与えるような行為でもなく、またあらたに供託所に対して払渡の請求をする権利を失わせる効力を持つものでもない。この点において、払渡請求の却下決定は、供託受理の却下決定と同日には論じえない本質的な差異を有するものといわなければならない。なお、払渡請求の却下決定の性質、内容をこのように解した場合においても、請求者が却下決定に対して審査請求(法第一条の三)をすることができないわけではない。もとより、その場合ににおいては、審査請求の制度は行政庁内部における行政監督の手段としての機能を果すにすぎないものと解するのほかないが、法第一条の三以下の規定を根拠にして逆に払渡の却下決定が行政処分であるとすることはできない。

以上のとおりであるから、供託官が供託物の払渡請求を却下した場合においては、右却下決定は、行政事件訴訟法第八条以下の規定する抗告訴訟の対象とはなりえないのであつて、払渡請求権者は、却下決定の取消訴訟の提起を考慮する必要はなく、供託所の監理主体である国に対し、直接供託物の払渡を請求することができるものというべきである。(供託所に対する適式、かつ有効な申請があること及びこれに対する供託官のなんらかの応答があることは、権利行使の要件となるわけである。)してみれば、被告の本案前の申立ては、理由がないものといわなければならない。

二そこで本案について判断する。

原審が、昭和二七年五月二九日、金二〇〇万円を東京法務局に弁済供託したこと(昭和二七年度第一五一三九号)、及び原告が、昭和四二年二月一日、同法務局に対し、前記供託金の取戻しを請求したが、供託官中川庫雄が消滅時効の完成を理由として、右請求を却下したことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、弁論の全趣旨によると、原告が東京法務局に対し適式な請求書を提出したこと及び原告と右供託官との間において取戻請求権の消滅時効の完成の点をのぞいて請求書の有効性については争いのないことが認められる。

〈証拠〉によれば、右供託の原因は、次のとおりであること、即ち、原告が、昭和二七年五月一二日、訴外金井寛人の代理人と称する大野功二を通じ、金井寛人から同人所有の、東京都港区芝葺手町所在の土地建物を代金一四四〇万円で買受け、内金二〇〇万円を支払つたところ、その後金井自身から、右金二〇〇万円を返還され、右の売買契約の成立を否認されてきたので、原告は、その頃、金井を相手として、右売買契約の確認及び残代金の支払と引換えに前記土地建物の所有権移転登記手続を求める訴を、東京地方裁判所に提起し(同裁判昭和二七年(ワ)第四一四三号事件)、これを共に、右返還を受けていた金二〇〇万円を、同年五月二九日、東京法務局に弁済供託したものであつて、これが即ち本件の供託金であること、及び、その訴訟は、第一審の東京地方裁判所では、訴外大野功二には金井を代理する権限がなく、問題の売買契約は、成立していないとの理由で、原告が、全面的に敗訴し、原告は、これを不服として東京高等裁判所に控訴したが(同裁判所昭和三〇年(ネ)第六九号事件)、昭和三六年五月二三日、第一審と同様、本件売買契約は、成立していないとの理由により、控訴棄却の判決の言渡を受け、これに対して、原告は、上告することなく、同年六月七日、右判決が確定したこと、をいずれも認めることができ、これに反する証拠はない。

右事実によれば、本件供託金については、債権者である金井が、供託の受諾をしていないことが明らかであるから、被告において、右供託金取戻請求権の行使を妨げる事由につき、主張立証がなされない限りは、原告は、被告に対し、右供託金の取戻しを請求することができるものといわなければならない。

被告は、これに対し、右供託金取戻請求権は、時効によつて消滅したと主張するので、この点について判断する。

ところで、国の債権債務の消滅時効については、それが公法上の原因によつて発生するときは、会計法の規定によるべきであるが、私法上、原因に基くときは、民法の規定によるものと解すべきである。而して、前記判示のとおり、弁済供託における払渡請求権は、その成立及び行使の面において、公権力性が認められず私法的関係と解せられるから、供託金の取戻請求権の消滅時効は、民法の規定に従い、一〇年をもつて完成するものと解するのが相当である。ところで、被告は、本件供託金は、供託の時から取戻しの請求をすることができたものであるから、この時から時効は進行すると主張する。しかし、およそ債権の消滅時効は、債権者が、債権を「行使スルコトヲ得ル」時(民法第一六六条第一項)から進行するものであるが、ここにいう権利を行使することを得るとは、単に、権利を行使することが可能であつて、その権利の行使につき、法律上の障害がないというだけではなく、更に、権利の性質上、その権利の行使が、現実に期待できるものであることをも必要とすると解するのが相当である。これを本件についてみるのに、本件供託の原因は、前認定のとおり、原告が、訴外金井寛人から、不動産を有効に買受けたと主張し、金井が、右契約の存在を否認するという、原告と金井との間の契約の有無についての紛争にあるのであるから、原告が、あくまで、右契約の有効な存在を主張する限り、原告に対して、本件弁済供託金の取戻しを期待することは、法律上矛盾する行為を望むことにほかならない。何となれば、右の弁済供託は、右契約の有効な存在を前提とするものであり、その反面、紛争中に供託金の取戻しをすることことは、右契約の存在を自ら否認すること同視されてもやむをえないことだからである。換言すれば、原告は、右契約の有無についての紛争の解決しない限りは、取戻請求権の行使を期待できない地位におかれているものと解するのが相当である。従つて、本件取戻請求権の消滅時効は、前記紛争が、東京高等裁判所の判決の確定によつて、最終的に解決を見た昭和三六年六月七日に至つて、はじめてその進行を開始したものと解すべきである。

そして、消滅時効の起算日を右のように解する以上は、原告が、本件供託金の取戻しを請求した日である昭和四二年二月一日は、いまだ時効期間(一〇年)の満了以前であることは、明らかであるから、被告主張の消滅時効の抗弁は、その理由がないものといわなければならない。

なお、被告は、右判示のような前提によつて、時効の起算日を定めるならば、供託者と供託官との間の法律関係に、それ以外の事由を不当に導入することになり、本来供託官の関知しない事項をもつて、供託関係から生ずる取戻請求の時効を云々することは、当事者たる供託官の側からする時効起算点の確認を、著しく不安定、不確実なものとすることとなり、客観的な時効制度の本旨に反すると主張するが、供託制度は、単に供託官と供託者との間の二面関係にのみ止まるものではなく、常に被供託者の存在が予定され、また、供託者と被供託者との間の実体法上の法律関係の存在が基本となつて、その上に成立つているものであるから、供託官としては、単に供託者との関係においてのみ時効期間の起算点の確認をなすべきではない。また、かりに、所論のように、供託官の側からする時効起算点の確認が、不安定、不確実となる場合があつたとしても、このことによつて、前判示のごとき解釈を、時効制度の本旨に反するものとして、これを否定し去るものとなすには足りない。

被告は、このほか、さらに、原告には、供託証明書の交付を受けることによつて、随時、時効の中断をする権能があつたことを指摘するが、たとい、そのような時効中断の方法があつたとしても、これをもつて時効の起算点を前判示のように定めることを必然的に否定しなければならないものとはいえない。

以上のとおりであるから、被告に対し、本件供託金二〇〇万円と、これに対する供託の日の翌日である昭和二七年五月三〇日から原告が東京法務局に対して取戻しの請求をした日である昭和四二年二月一日に至るまでは、供託規則所定の年二分四厘の割合による利息、及び右取戻しの請求をした日の翌日である同年二月二日から完済に至るまでは、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は、すべて理由があるからこれを正当として認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、なお、仮執行の宣言は付さないのが相当であると認めるので、これを付さないものとし、主文のとおり判決する。(緒方節郎 小木曾競 佐藤繁)

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